アラビア語はペラペラになったのか
夫、熊五郎と結婚して6年目になる今年
アメブロでは色々とドラマティックな義家族を
書いてきた
クゥエートから移民したアラブ系カナダ人
5人兄弟の長男にあたる
兄弟達はすっかりカナダに溶けこんでいるのだが義父母はカナダ人でありながら全くカナダに染まっていない純アラブ人である
食事はアラブ料理のみ テレビもアラブテレビ
知り合いはアラブ人のみ
そしてもう25年以上カナダにいるのに義母は全く英語を話さないというか話せない
もちろん読み書きもできないのである
私とのコミュニケーションはジェスチャーか
絵文字のみ、ほとんど2人で会話がないのだが良い関係を築くことが出来ている
1度結婚して1年目ぐらいに
「Tsukiはいつになったらアラビア語が話せるようになるの?」
と言われた時があったが、実の娘に
「お母さんはいつになったら英語を話せるようになるの」
と痛い所をつかれ私はあんたよく言ってくれたと思わず言いそうになったが
それ以降、義母からこの質問を聞く事はなくなったのである
家族の繋がりが強い義家族は週に一回全員が集まる
義母が食事を全員の分用意してくれ夕食会が開かれるのだがもちろんその時はアラビア語が飛び交っている
そして結婚当初は誰かが常に訳してくれていたが最近は共通の話題をたまに訳してくれるが
私はそれで全然構わない
疎外感などは全く感じないし、もし訳してくれても議論好きの義家族に入っていきたくもない
議論好きのアラブ人、特に義家族メンバーは結構自分の意見に対して自信満々なのである
ちょっと反対の意見を言うと倍返し、いや100倍返しをくらう
それだけでどっと疲れるぐらいなら黙っていた方がマシなのだ
さすがに6年目となると何を話しているかなんとなくわかる時もある
先日こんなことがあった
話しこんでいた
その時ふいに義弟の嫁のBが
「Tsuki彼らが何を話しているか分かる?」
と聞いていた
「熊五郎の仕事の事かな」
ズバリ正解
これにBがかなりびっくりしていた
「アラビア語分かるようになったの?」
そんな一瞬で分かったらニュースなるわぃと思いつつも 想像力が鍛えられだいたい何を話しているか大まかな事は分かるようになったと説明した
「そうならいい加減アラビア語を勉強したら?」
といつも一言多いこの女にそうやなと薄い返事をしたのだが
だいたいアラビア語
1. Inshallah インシャアッラー
2. Marshllah マーシャアッラー
3. Al-hamdu lillah
アムハムドゥリラー
この3つを使いこなせたら会話に入れるのだ
Inshallah インシャアッラー
これは訳すと 神の思し召しのままに
つまり未来形
例えば 今年は日本に帰国するの?
インシャアッラー
(行くか行かないかは神のみぞ知る)
9時にはこれる?
インシャアッラー
(努力はするがたとえ遅れたとしてもそれは神のご意志だ)
Marshallah マーシャアッラー
訳すと神が望まれた
これは特に祝い事や褒める時に使われる
娘が歩き始めました
マーシャアッラー
この度婚約しました
マーシャラアッラー
何か嬉しい、良い話の後にはマーシャアッラー
Al-hamdulillah
アル ハンドゥリラー
訳すと神に感謝を
食事が終わって
アル ハンドゥリラー
仕事がうまくいってます
アル ハンドゥリラー
おかげさまでのニュアンスにはアム ハンドゥリラー
私は正直この3つを使いこなせたら十分と思ってしまっているところがある
なぜかというとアラビア語を理解できないので多々おこるファミリードラマに加わる事はない
自らファミリードラマに飛び込みたくもなく
正直熊五郎からだいたいどんな感じなのか聞いてはいるのだが 義家族の前では全く知らないふりをしている
ゴングが鳴っている状況ではまさに売り子状態
もしアラビア語がペラペラだったら
アラブ人女子会に頻繁に呼ばれ
ゴシップ合戦に巻き込まれるに違いない
軽く震える私である
カナダで英語を習得した人からは、かなり勉強して理解できるようになったと聞くよりもいつのまにか理解できていたと聞く方が多い
自分にプレッシャーをかけるより 分からなくてもいつかは分かるだろうぐらいの余裕さがあった方が伸びる気がする
しかしファミリードラマの壁はそれは大きく私の前にそびえ立っている
私のアラビア語はこれ以上伸びることはなさそうである
インシャアッラー